2014年9月17日水曜日

『CPUの創りかた』 感想とレビュー


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CPUの創りかた を(一応)読み終わりました。もちろん実際には創らず、読み通しただけです。
だいぶ前に「有名みたいだし読んでみようかな」と手を出して「やっぱり電子回路わからない…」と挫折していたのですが、最近ハードウェア寄りの事をし始めたので改めて手を伸ばしました。

結局電子回路の部分はわかったようなわからないような、といった感じですが、この本で私が得た知見は 171ページの

要するに CPU というのは転送命令を繰り返すだけのロジックである。

に集約されている気がします。この言葉で「おお!」と思えただけで、読んだ価値はありました。
以下、同じページに書かれている重要なこと。

  1. データ保持の方法。フリップ・フロップの出力を入力に戻してあげればクロックがきても同じデータを保持できます。
  2. レジスタ間のデータコピーの方法。コンピュータが実行する命令の大半はMOVなどの転送系です。転送元のフリップ・フロップの出力を転送先のフリップ・フロップへ繋ぐ。で、クロックでコピー実行。
  3. 演算の方法。演算はソフトウェアから見ると転送命令とは別のカテゴリですが、CPUの回路としてはMOVなどの転送命令(として処理できる)の一種です。データを転送する途中で演算回路を経由すればよい、ということです。演算命令と転送命令はほとんど同じ。これも非常に重要。

これを知ったことが結局役に立つのかというとよくわかりませんが、全くの謎だった CPU の基本原理が少しわかった気がします。(これでわかったというと本物の CPU 屋さんに怒られそうですが…)

ソフトウェア系の人が、パフォーマンスを出したいなどの観点から実際に役に立つ CPU の知識を身につけたいのであれば、プロセッサを支える技術 -果てしなくスピードを追求する世界 (WEB+DB PRESS plus) がオススメです。自分も偉い人にオススメされて読んでいる途中なのですが、キャッシュの話や Out-of-Order 実行の話など、CPU が高速化のために行っている工夫がわかりやすく書かれていて読みやすいです。

2014年9月11日木曜日

『桜井政博のゲームについて思うこと 2』 感想とレビュー


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桜井政博のゲームについて思うこと 2 を読みました。このシリーズ全て Kindle 化されていたんですね。文字サイズが変更できないタイプなので Kindle だと若干読みにくく、Nexus 7 のような 7 インチタブレットくらいが調度良い感じです。

いろいろな話題があって面白かったのですが、ここではゲーム関係の企業に勤めている端くれとして、心に留めておきたいお言葉を引用してメモしておきます。
ゲームに限らずほぼすべての創作物は、根本的には制作者のエゴイズム(自己本位、利己主義)で作られるものだとわたしは思います。(…)でも冷静に見渡してみると、エゴよりももっと優先すべきものがあることに気がつくのです。(…)お客さんに届くものであれば、まして代金をいただくものであれば、作品であるまえに商品であることは無視できません。メーカー名が冠としてつけばなおのこと。だからこそ、「自分の好みの仕事ができない」と狭い視野で嘆くより、みずからが選んだ職種に携われること自体を感謝するべきだろうと思います。
ゲームが好きで今の会社を選んだこと、ゲームに関わる環境に居られることへの感謝を忘れないようにしたいものです。
ゲームの最後にスタッフロールを載せるワケ。わたしにとっては、それはお約束を守るわけでも名前を載せたいだけでもなく、手がけた作品に対しての責任表示だという意図があります。売りたいのはゲームそのものであって、自分の名前ではないのですから。
この責任感が、『スマブラ』のような、恐ろしい量の調整・デバッグを必要としそうなタイトルの完成度の高さを可能にしているのかもしれません。私は外に名前が出るような仕事はしていませんが、名前を載せても恥ずかしくないような仕事ができるよう頑張りたいですね。



スマブラ for 3DS 体験版、面白いです。製品版が待ち遠しい。

2014年9月7日日曜日

『ゲームとゲーミフィケーションのあいだで』 感想とレビュー


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ゲームとゲーミフィケーションのあいだで 〈人間と情報〉の関係はいかに更新されてきたか (PLANETS ほぼ惑コレクション for Kindle)
Kindle オーナーライブラリ対象だったので、今月はこれを借りて読んでみました。
ページ数はとても短く、丁寧に読んでも30分程度で読める文量ですが、内容は濃く多岐にわたっていて、借りてよかったと思います。

テーマは『情報技術の発展による「人間」像の更新』ということで、ソーシャルゲーム、エンターテイメント、メディアなど、色々な話題についてケームクリエーター水口哲也さんと、ゲーム研究者井上明人さんが語られています。

引用とメモ。
コンピュータゲームで、主に快楽のため、夢の実現のために追求してきた様々なテクニックや手法は、いま、情報技術の発展で社会構造の中に実装されつつあり、ゲーミフィケーションという名で呼ばれています。
この本におけるゲーミフィケーションの定義。
人間のローカルなコミュニケーションをインターネットが可視化して、それをこれまでよりも深いレベルで、それも大規模にゲーム化することが可能になったとき、ほんとうに何でもない、ほとんど中身のないやりとりをダラダラ続けているだけでなんとなく承認欲求も満たされるし、ゲームも進行して面白い、という一種の麻薬的な「時間つぶし革命」を実現してしまった
主にソーシャルゲームの話。ゲーミフィケーションは「なんでもないこと」、あるいは「悪いこと」にも人々を熱中させられる技術でもあるため、使い方を考えなくてはいけない、ということではないかと思います。
今は目の前にあるこの15分を消費したい、大きな有料の感動より、無料で手軽に遊びたい、という欲求やニーズの方が勝っちゃってるからこそ、ソーシャルゲーム人口も上がっている
WiiU や PS4 といった据え置きの大型タイトルから、「アプリ」へ人が流れている傾向について。大型ゲームが好きな人間としては寂しい一方、社会人になってからは確かに大型タイトルを遊ぶ気力が中々起きず、こうした感覚がわかってしまうのも事実です。振り返った時により大きなものが残るのは、有料かどうかはさておき「大きな感動」の方だと思うので、なんとか気力をだして「暇つぶし」に溺れないようにしたいものです。
明らかにこの種のソーシャルゲームは「作品」よりも「社会」の側に重心が置かれている。だから「ゲームとしてつまらない」という批判はあまり意味がない。これらの企画の目的はコミュニティ形成であって、ゲームはそのための手段でしかないし、ユーザーが享受している快楽もコミュニティサイトを通じた友人間の交流のそれが占める割合が大きい。(中略)『ポケモン』や『モンハン』ではゲームという作品の快楽の追求が目的で、社会=コミュニケーションはその快楽を支える装置=手段えしかない。しかし、ソーシャルゲームではこの関係が逆転している。社会が目的で作品が手段になっている。
ソーシャルゲームにおけるコミュニケーションと、『ポケモン』や『モンハン』といったゲームにおけるコミュニケーションの役割の違いについて。
コンピュータゲームの歴史とは、手段と目的のあいだを撹乱するシステムを洗練する歴史だったはず。どんなゲームも、少しバランスが狂うと「ゲームのためのゲーム」に、つまり「作業ゲー」になってしまう。
RPG で言えば、最終目的は「ストーリーをクリアする」で、そのための手段である「敵を倒す」、「ダンジョンを攻略する」、「アイテムを集める」、「レベルを上げる」という要素それぞれに面白みを持たせようとしてきた、という感じでしょうか?
今まではクリエイティブの神様というのはクリエイターという人たちの中に生息していて、その神をファンが崇拝していた。それが今では「僕も育ててるんだ」というふうに主体がパッシブな三人称から、アクティブな一人称に変わり始めている。
AKB や初音ミクの流行、参加するエンターテイメントへの移行について。『日本代表』のような本当に限られたトップレベルの個人・団体以外は見るエンターテイメントの対象としての価値を失いつつあるのかもしれません。
いわゆるエリート層の人って、自分が置かれた環境に勝手にゲーム的な構造を読み込んで、自分がプレイヤーとして同行動すべきか判断できる人の比率が多い印象を受けます。
確かに「ゲーム的な構造」が与える「何をすればどういう結果が得られるか」という因果関係を自分で紐解く事ができる人はエリート層になりやすい気がします。
「誰もが情報発信できる社会」が定着したとき、その結果何が起こりつつあるかというと、様々な情報や言葉が、有象無象の匿名の言葉と、ひと握りの固有名の言葉に分かれ始めているということです。
匿名の言葉は、一般人の書き込み、固有名の言葉は有名人の書き込み。一般人の書き込みはその内容に重きが置かれ、有名人の書き込みは内容よりもその人が言った、ということに重きが置かれていて、この中間にあったマスメディアは居場所を失っているという話。



最後に、水口哲也さんは、人の好奇心、探究心をとても大事にされていると思いました。そういうことに、ゲーミフィケーションの考え方が活かされると良いですね。

アルドノア・ゼロ 10話 感想


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  • 姫様復活(早っ!)
  • レイエ拘束
  • ザーツバルム伯爵の過去話
  • 姫様演説
    • ただしザーツバルム伯爵一派にしか伝わっていない

姫様簡っ単に生き返りましたねぇ。いやもう拍子抜けです。1週間色々な展開を妄想できて楽しかったからまぁいいんですけど。そしてレイエ。今のところいいところがない(強いて言えばロケットパンチにトドメさしたくらい)中での今回の行動で、印象がだだ下がりというか。境遇が特殊過ぎて感情移入もしにくく、どうも魅力を感じられません。今後活躍の場があって欲しいものです。

Bパート。ザーツバルム伯爵の過去話がありましたが、デューカリオンが無事という事はオルレイン子爵がどこかで生きているフラグが。機体が無事でも、衝撃で中の人が死ぬことはありそうですが…その場合、地球側が遺体を秘密裏に処理したことになりますね。このあたり、後半クールの伏線となるんでしょうか?

最後にザーツバルム伯爵、あの角度で手錠だけ撃つの無理では?…というのはさて置いといて、スレインをあそこで開放したのはどういう意図があるんでしょう?もしかして、タルシスを好きに使えってこと…?(スレインは騎士じゃないけど起動権はあるのだろうか)

こっちはこっちでよくわからない行動してますが、とりあえず最終決戦が派手になりそうなのを楽しみにしておきます。
そういえば、今回は作画に違和感を感じる場面が結構多かったような気がしますが、前半クールをきっちり締めてくれたらいいですね。

そしてもうすぐサントラ発売。

2014年9月6日土曜日

Windows 8.1 で FRDM-KL25Z を使う


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使えるようになるまでのインストラクションが下の参考先にあったのですが、Windows 8.1 で使用するにはファームウェアアップデートをする必要があり、そのためのファームウェアアップデートを行うには Windows XP/Vista/7 のどれかが必要ということでした。

その通り、 Windows 7 を使ってファームウェアをアップデートした後、Windows 8 に繋いだら普通に認識され、BOOTLOADER としても FRDM-KL25Z としても使えるようになりました。

更新してから初めて Windows 8 マシンに繋いだ時は不明な USB デバイスとなりましたが、一度抜いて別の USB ポートに差し込んだら正しく認識されました。その後元の USB ポートに繋いでも正しく認識されるようになったので、たまたまか、一度抜き差しが必要だったのかもしれません。

参考 : OpenSDA Update Instructions for Freescale Freedom Development Boards for Windows 8.1 and Linux
If you are not running the latest firmware and need to use the board with Linux or Windows 8.1, you need to then update the firmware. You must do this on an OS supported by the current firmware version on your board (typically Windows XP/Vista/7).


『嫌われる勇気』 感想とレビュー


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嫌われる勇気』を読みました。インパクト重視と思われるタイトルにあまり良い印象はなかったのですが、かなり売れているようなので食わず嫌いせずに読んでおこうかと。

アドラー心理学というものに触れるのは初めてで、色々と新鮮でした。この本自体は、哲人が青年の説得に使用する例や、それによって青年が説得されていく様子などに違和感を感じてしまいそれほど面白いとは思わなかったのですが、アドラー心理学について自体はまた何かの機会に別の本でも読んでみようと思います。

『目的論』という考え方

未来を変えられる、と考えるための思考方法としては有用だと思うのですが、納得はできない、という印象です。読み終わった後でも、現在の状態の原因は過去にある、トラウマは存在する、という考えは変わりません。その上で、過去の事を言っていても仕方ないから何とかして乗り越えようよう、というスタンスの方がしっくりきます。

まぁ『目的論』についてあまりよく理解できていないので、別の本を読んだ時にでもまた考えてみようと思います。

以下、この本の内容のメモを少し。

アドラー心理学が掲げる目標

  • 行動面の目標
    • 自立すること
    • 社会と調和して暮らせること
  • 心理面の目標
    • わたしには能力がある、という意識
    • 人々はわたしの仲間である、という意識

人生のタスク

  • 仕事のタスク
  • 交友のタスク
  • 愛のタスク

承認欲求の否定と課題の分離

よく言われていることで、アドラー心理学に限った話ではないと思いますが。
あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。